Mr.Childrenのmiss youが最高で音楽を聴く楽しみが尽きないという話

 音楽を聴き進めていくのが楽しくて仕方ない時があります。例えば読書で面白い局面の時、本をめくる手が止まらなくなって一心不乱に読み込んでいく感覚に似ていて、音楽もアルバムの曲を聴き進めながら以降の曲にワクワクし始めて気が付けば最後まで聴き込んでいた、なんてことがあります。それも初めてその音に触れた時に限った話では無く、何度も聞いたことのある曲(アルバム)に対して急にワクワクする瞬間が訪れることがある、または何度聞いても新鮮なワクワク感を保てるものも少なからずあるかもしれません。今回、私にとってそんなアルバムとして紹介したいのが、Mr.Childrenが2023年にリリースした『miss you』というアルバムです。

f:id:shige_tyler:20260201191541j:image

 

 

 アルバム『miss you』は自分の現在位置がわからなくなるアルバムです。そして余計なことばかり言っているアルバムでもあります。余計な言葉が時に生活風景そのものを根幹から変えてしまい人は日常の中で迷子になる、と言えば大袈裟でしょうか?例えばポツリと出てしまった独り言が場の空気を凍らせて、既定路線のはずのコミュニケーションや関係に思わぬ風穴を開けることがあるでしょう。もしくは誰かの何気ない呟きが詩のように心に残り、日常の唯一無二感を尊く感じられたりするかもしれません。本作ではそのような余計な言葉、あるいは神経質とも取れる視座で語られた言葉が日常の盤上をわずかながらでも崩していく驚きに溢れています。

 

 1曲目『I MISS YOU』のサビ、「I miss you×3 繰り返すフレーズ」という一節は、寂しさの告白を連呼しながらも抑揚がなく、ただ言葉だけが虚空に響くような趣があります。「誰に聴いて欲しくてこんな歌 歌ってる?」と自虐的に吐露し、誰かに何かを伝える行為の意味さえ不意に疑ってしまう。しかし、そんな閉ざされた状態の中でしかアクセスできない自意識があるのかもしれない、だとしたらこんな孤独にも価値があるかもしれない、なんて青いことを私はついつい考えてしまいますが、この曲中では孤独の中でアクセスした自分自身に対し「殺したいくらい嫌い」と言い放ちます。

 4曲目の『Are you sleeping well without me?』で「繰り返し間違って」「汚して拭きとって」と歌うBメロのリフレインが、堂々巡りするだけの人生がエンドレスに続いていく光景を予感させ、極めつけは8曲目『Party is over』において、「キャリーオーバーできず未来へ何も残せやしない、心の中まで空っぽ」と歌います。まさにずっと繰り返してきたことも未来へ残ってく実感すら伴わない寂寥が伺えます。そんな身も蓋もないような年配の徒労をわざわざ歌にする、まさに年配者の余計な独り言しか歌っていないように思います。しかし、アルバムは悲劇にも喜劇にも結び付かないどっちつかず感、つまり現在位置がわからないような迷走状態が保たれたまま『黄昏と積み木』『deja-vu』『おはよう』の3曲に行きつきます。

 アルバムの10曲目『ケモノミチ』までは多少の曲調の違いこそあれど、トーンとしてはネガのフィルムに映る世界のような浮世感がありました。しかしその感覚は11曲目の『黄昏と積み木』が始まった途端急にほころびを見せ、ある意味現在位置がさらに怪しくなります。「小さな願いを一緒に積み上げよう」というフレーズが二度登場しますが、先述したように同じアルバム内で「未来へ何も残せやしない」と歌いながら、それでも「積み上げる」ことをこの曲中では前向きに続けようとする。積み木は簡単に崩れる。でもそれがいい。誰かと積み上げた積み木が途中で崩れて笑い合ってる絵さえ浮かんできます。アルバムの締め括りとなる楽曲『おはよう』において、「おはよう」「おかえり」「おやすみ」「おはよう」という歌詞が円環を成すように紡がれ、その日常というあまりに果てしない繰り返しを意識させながら、雰囲気はどこか穏やかです。

 些細な癒しも孤独も、感情が飽和状態になることも希薄でいることも、優劣つけずに一つずつフレーズにはめていったのがこのアルバムだと思います。だからこそ、急に人の意外な一面などが垣間見え、少なからず驚いたりして、また自分の立っている場所のリアリティがぐらつく。でもその繰り返しが楽しい。私にとってmiss youはそんなワクワクした迷いが尽きないアルバムです。

 

 Mr.Childrenは今年2026年、公の場での盛んな活動が予定されています。3月25日にニューアルバム『産声』をリリース、続いてアリーナツアーを4月4日より全国14会場全28公演で開催。アルバム『産声』に収録されてる『Again』は日曜劇場『リブート』の主題曲になっており、1月19日に配信シングルとしてリリース済みなので是非聞いてみてください。

今敏監督作品「PERFECT BLUE」 劇場鑑賞しました!

 今敏(こんさとし)というアニメ監督をご存じでしょうか?2025年現在既に他界されており、新作が出ることも無いため今の20代未満の世代は知らない方も多いのではないでしょうか?46歳に癌でその生涯を終えるまで、手掛けたアニメ作品は決して多くはありません。しかし、そのアグレッシブな映像や斬新なストーリーはいまだに多くの人の支持を獲得し続けている、伝説的と言っても過言ではないアニメ監督です。そんな今敏監督の初の長編アニメ映画として「PERFECT BLUE」という作品があります。2025年11月21日より全国の映画館にて1週間限定でリバイバル上映が開催されており、私もこの機に劇場鑑賞をしてきました。一度配信で鑑賞したことがありましたが、いざ劇場鑑賞すると全く想像さえしていなかった得体の知れないエネルギーとショックに見舞われ、映画館の外に出た時この現実世界に触れ直す鮮烈さに鳥肌が立つ思いでした。この感想を鮮度の高い状態で残しておきたく、早急にレビューとして記事にしました。あらすじと一部場面描写について触れますがネタバレは無しとしますので、少しでも興味をもってくれた方がいたら期間中に映画館に足を運んでみてください。

 一応注意喚起しておきます。本作はジャンル的にはサイコスリラー物であり、性描写や胸糞描写が多く含まれます。そういう作品にそもそもアレルギーがあるよという方は控えてもらって結構です。

 

 本作はアイドルグループ「CHAM」のセンターを務めていた未麻(みま)が、アイドルを脱退して女優業に転身するという場面から始まります。女優としての方向性を決めかねている本人に対し周囲は凄まじいスピード感で未麻を導き、ポルノの方向へと進めていく。そんな折、未麻の活動方針に関わった関係者たちが次々と変死を遂げ、さらには未麻の前に、《アイドルだった頃の自分》が幻影のように現れてきます。幻影の正体は未麻の妄想なのかそれとも何者かが扮しているのか、そして変死連続殺人事件の真相は?という内容となっております。特筆したいのは、本作では犯罪捜査の要素、と言うより警察の存在自体が希薄で、あくまで未麻の逡巡と恐怖を追っていくことが一連の事件に結び付いていくという構成になっております。そういう意味では「新世紀エヴァンゲリオン」や「少女革命ウテナ」、「魔法少女まどか☆マギカ」のような、所謂セカイ系と呼ばれる作品群に近く、未麻の心象風景(虚構)と現実の混ざり合いが画変わり激しく展開される様が非常に魅力的です。

 作中において未麻が女優業の仕事で性的搾取をされるシーンの撮影場面があります。わりと長尺で描かれるその場面は単なる「悪趣味な作劇」という言葉で纏められがちですが、私はどうしてもこの一連の場面で生じた胸騒ぎのようなものを悪趣味の一言で片づけることはできません。というのも、この未麻が役の中とは言え一方的に受ける性的暴行は、我々鑑賞者側がスクリーンに立ち現れた未知の世界に飛び込んで一方的に感覚を搔き乱される映画体験に非常に近しいものがあるのではないか、と思えるからです。映像世界に飛び込んだ僕らの心象をその異なる世界は容赦なくぐちゃぐちゃに蹂躙していく。未麻が女優業という新しい世界に飛び込んだその痛みや恐れは、心象風景とも取れるほどの過剰な性的暴行という形で未麻を傷つけ、また僕らもその傷にシンクロしていきます。映画であれ仕事であれスポーツであれ、何かに果敢に飛び込むのは少なからず僕らの中の何かを傷つけ、狼狽させる。それは虚構(想像や妄想)と現実(身体的な痛みや疲労困憊、物理的な失敗)が複雑に入り混じりながら僕らには「切実さ」として記憶されるものだと思います。だからこそ、虚構が現実より無価値で無意味とは到底思えないし、蔑ろにするべきものでもないと私は考えています。

 本作に限らず、今敏監督の作品は虚構との向き合い方が一つのテーマになっているように感じます。虚構との向き合い方を考えるというのは、あらゆる創作物、フィクション(虚構)に対して真摯に向き合うことだと思いますし、私自身、その虚構に宿る切実さをバカにしたくない。全部受け止められるとは思わないけど、できるだけ多くのフィクションに触れてその切実さを噛みしめたい。PERFECT BLUEの鑑賞を通して、物語のメッセージ性を超えて再度大事なことに気づけた気がします。

「あの夏、いちばん静かな海」という特異な映画



f:id:shige_tyler:20250912220832j:image

 北野武監督の「あの夏、いちばん静かな海」を鑑賞してまず驚いたのは、その物語を構成する上での情報量の少なさだ。本作はバックボーンも人柄もよくわからない人たちが、何やらよくわからないことで揉めたりふざけたり佇んだりする光景が淡々と映されている。彼らがどんな人物でどんな行動動機を持っているのか記す描写は、おそらく意図的に多く省かれている。主人公の茂と貴子に関しても、恋人同士ではあることはわかるけど恋愛を巡る劇的な男女のあれこれが描かれるわけでもなく、人間ドラマのカタルシスには繋がらない。だから本作を鑑賞することは、「ストーリーを追ってそれを楽しむ」というより「近所でよく見かけるにーちゃんたちの行動を目で追っている」という感覚に近いのだ。しかし、それが不思議と心地いい。

 本作で描かれていることの多くが、砕けた言い方をすれば「どうでもいいこと」だ。起承転結の本筋に対して全く関連の無いような出来事、しかも画として映えるわけでもない味気ない出来事が羅列されている。しかし、そのどうでも良さに吹き出しそうになるのと同時に不思議とノスタルジックな気持ちになる。これは私なりの実感だが、ノスタルジックという言葉には、単なる「郷愁」とか「過去を想う時の感傷」だけでなく、「過去の出来事や関わった人々何一つ欠けても今は成立しえないことへ尊さ」みたいな念が伴っていると思う。どうでもいいことばかりだけど、どのシーンもどの人物1人欠けても成立しなかった。そのような実感とともに涙ぐんでしまうのは最終盤の不思議なエンディング映像においてだ。久石譲作曲のメインテーマに乗せて紡がれるダイジェストのような(あるいは走馬灯のような)6分にわたる映像には、これでもかというくらいのノスタルジックな恍惚感が詰まっている。

 本作で抱いたノスタルジックな眼差しは、そのまま私自身の日常風景へと向かっていく。先述した通り、本作の鑑賞は近所でよく見かけるにーちゃんたちを目で追っているような感覚ゆえに、簡単に娯楽の枠を超えてくる。

ap bank fes 2025 @TOKYO DOME  2025/2/15 Mr.Children バンドアクト感想

 先日ap bank fesというフェスに行ってきました。

www.apbank.jp

 東京ドームにて2月15日、16日の2日間で行われた音楽フェスであり、私は初日(15日)の参加となりました。随所に思わぬ驚きや興奮を詰め込んだビックリ箱と化した東京ドーム公演でしたが、今回この記事で取り上げるのはMr.Childrenのアクトに絞ります。彼らのアクトに対し会場全体の反応がどうだったかは伺い知れぬ所ですが、私個人としては非常に興奮し、さらにここ数年の彼らのフェスやライブを見ていた上で最も嬉しい選曲が今回見られたので、取り急ぎMr.Childrenについて書きたいと思います。先述で会場全体の反応は伺い知れぬと書きましたが、ドームの客席をほぼ一望できる2階席の中腹にいたため、1日を通してある一定の盛り上がりのピークなどは目に入ってきました。その主たるものとして、Mr.Childrenの前のアクトで登場したスガシカオB’zの松本さんを呼び、彼ら2人が作曲作詞を担当したKAT-TUNのデビュー曲「Real Face」を披露した場面は、わかりやすくパニック交じりの大興奮の渦になりました。Mr.Childrenが登場する前にもう既に会場ができ上がってる状態となったわけです。しかし、続くMr.Childrenがその会場の熱量を汲んでさらに盛り上げる内容だったかと言えばセトリ的にはかなり渋いものだったと思います。そこは私もフェス全体を見通した流れとしてはあまり最良ではないような印象を受けつつも、とはいえその梯子外しも含めて個人的に十分楽しめる内容ではありました。以下、セットリストを記載します。
 
  1. 擬態
  2. 海にて、心は裸になりたがる
  3. HANABI
  4. Brand new planet
  5. 街の風景
  6. タガタメ
  7. HERO
  8. 彩り
 
 『擬態』『海にてー』では、コールアンドレスポンスを伴いながらポップで爽やかな感触を受けつつも、「現在を超えて」いくことのできない現実、「裸になりたがってる」けどなりきれない現実の切なさ、その否応なしに湧きあがるエモーショナルさが触知されます。続く『HANABI』では、音楽フェスらしい誘引力を持った「もう一回」のシンガロングが響き渡り、ミディアムバラードの曲とは思えない盛り上がりを見せました。4曲目の『Brand new planet 』では、ギターの伸びなども相まって感じられる空間的な広さに魅せられます。私個人としては本楽曲を生で聴くのが2回目で、初めて「半世紀へのエントランス」ツアーで聴いたナゴヤドームに続き今回も屋内での演奏だったため、これが真昼の屋外という場で演奏するとどんな景色になるのか、これも興味が湧くところです。そして個人的ハイライトの一つ、『街の風景』がきました。大好きな曲だから演奏してくれて嬉しかったけれど、同時に曲の印象から察するにホールかアリーナ向けの楽曲だと思っていたから、まさかドームで、しかもフェスで初めて演奏されたことに一人でどよめきが隠せなかったです。そう、おそらく私の記憶上では、本楽曲をMr.Childrenが生演奏したのは初めてだと思います。原曲に忠実なアレンジで、そのモノローグのような密やかさはドームという広大な空間の中でも失われない。そして最も注目すべきは「フリーズして動かない」という歌詞から田原さんの爆発的なエレキが炸裂し、直後桜井さんが声をダミらせながら歌唱する一連の音響空間の変化です。本楽曲に聴き馴染みのない人からすれば音響ミスのようにさえ思われかねないこの展開に私はグッと心を掴まれてしまったのですが、それは都会などを舞台にした数篇のオムニバス映画の中で必ず一つはトリッキーな激しめの話が挟まれるようなもので、それが良いアクセントになり、まとまって一つの映画として機能する感覚と近いのかなと感じました。そして、『街の風景』で一瞬垣間見えた切実さゆえのインフレしそうな感情は、続く『タガタメ』によって大きな渦になって展開されます。『タガタメ』はMr.Childrenの楽曲の中で特に賛否別れる曲と言っても過言ではないと思います。受け入れられない人にとっては全く響かないのも理解できる。それはこの曲が押しつけがましい綺麗ごとを羅列しているような印象を人に与えてしまうからか、いや、そもそもリアリティが薄いのかもしれません。「楽しい」「悲しい」という身近で分かりやすい享楽は無いし、明確なメッセージ性があるとも言いがたい。(ほぼ問いかけで構成されている) それに桜井和寿の歌い方がダミ声交じりの力んだ歌い方であることや間奏・アウトロのオケのフレーズが複数回繰り返されることなどが、感情が乗りすぎな印象を抱かせてそれを”イタい”と感じる場合もあるのでしょう。かくいう私は今から十数年前、本楽曲を初めて聴いた時に大いに衝撃を受けて好きになり、それがきっかけでMr.Childrenにのめり込んだとも言えます。しかしこの「好き」という感情の中には恥ずかしながら、この曲が苦手な人や何にも感じない人に対する人間的な差別化を図る気持ちが含まれていたことも今は否定できません。「音楽がわかってる」などと自分勝手な優越感に浸っていたのでしょう。今となっては世間知らずで的外れで恥ずかしく、さらにこの曲を聴けばそんな羞恥心が蘇ってきそうだから、ここ最近は聴くのを敬遠してました。しかしそんな反省も踏まえた上で改めて東京ドームという舞台で全身で浴びると、どこか救われた気分になりました。何が救われたのか。居場所を得たような気分だからです。私にとって誰かと関わる時の被害者意識や加害者性というのはコミュニケーションにおける最大の障壁と感じており、そのどちらにもなりたく無くてぎこちない無難な感じになることが多々あります。「被害者にも加害者にもせずに」という歌詞は、戦争や貧困などのグローバルな規模の問題ではなく、直に私自身のスケールで日々抱いている感覚なのです。でも、そんなことを普段他者と話せません。それを話すこと自体に自分の自意識を見てしまうから。だからこそ、こうして歌として、叫びとしてMr.Childrenが昇華していくことに、一つの感情の居場所を見つけられたような気がして救われた気がしたのだろうと思います。改めて『タガタメ』という曲が私にとって大切なものになりました。話はライブに戻り、アルバム「シフクノオト」の流れのまま『HERO』を演奏し、最後にap bank fesのマスターピースとして位置付けられる楽曲、『彩り』を演奏しMr.Childrenのパフォーマンスは終了。『彩り』に関しては楽曲自体を久しぶりに聴いたので新鮮に感じ直すことが多かったです。歌詞の中で大きな存在感を放つのが「作業」というワード。語感として機械的な、無味乾燥なイメージのワードなのに、これが楽曲内で最もエモーショナルに響く倒錯した気持ちよさが好きだと再確認できました。

2024年公開の新作映画ベスト10

 

 

1.ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

 
f:id:shige_tyler:20241231195001j:image

 まず設定が素晴らしいです。クリスマス休暇で寄宿高校の多くの学生や教師が帰省する中で、それぞれの事情で寄宿舎に残されることになった3人。私はこの3人が共同生活のようなものを送るという画だけでとても面白かったです。常に皆から煙たがれている堅物の中年考古学教師ハナムと、最愛の息子をベトナムで亡くしたばかりの料理長・メアリー、そしてしかめっ面が先行していて学生とも先生とも関係が拗れている男子学生・アンガスの3人が同じ食卓を囲んだり一つの車に乗り合わせたりする、ありそうで見たことない構図に吹き出しそうになります。しかし、そんな笑える構図ではありながらコメディータッチな描かれ方ではなく、作中には鬱病や孤独感、ベトナム戦争の影などが付き纏います。それぞれが抱えた問題を明かしたり隠したりしながら、彼らなりの奇妙な絆を深めていく様子に涙ぐましい感情を覚えるのです。3人のビジュアルは序盤と変わらないのに佇まいが変化しているように思えたのは私だけでしょうか?

 

 

2.悪は存在しない


f:id:shige_tyler:20241231195028j:image

 地面からの上空を見るようなアングルで森を映すという、書いていてもヘンテコに思えてしまうような風変わりなショットで本作は始まります。木の枝がリゾーム状に細く広く広がって、所々重なり合ったり離れたりしながら連続していて、その向こうに空が見えている。それも真っ白な雪原のような空。ですが、延々と一定の速度で流れる映像を見ていると少し不安定な気持ちになってきます。というのも、僕が見ている映像は本当に地面から眺めている映像なんだろうか、なんて感じられるからです。もしかしたら上空から密林と雪原を映してもこんな感じの見え方をするのではないか、なんて思えたりします。このような自分の視点の所在が分からなくなるピリッとした緊張感が本作に空気のようにして漂っていると感じます。自分の依って立つ瀬がひっくり返されることは不安定になることではありますが、それは同時に風通しが良くなることでもあります。何度も本作では予定調和が崩されることにより、思いがず心地よい空気が流れるのです。それは劇伴にも通じます。カメラが劇半に沿うようにして水平移動(ドリー?)している時、その一連のカットが終わるまで劇伴もこのまま流れるのかと思っていたら急に劇伴だけが止まり、鳥のさえずりや足音に変わる。ハッと目が覚めるような瞬間。突如映像に出し抜かれて深淵に触れてしまったかのような感じすらもします。「悪は存在しない」かどうかはわからなかったけど、何かの「途切れ」はそこかしこに存在して、どういうわけかそれが最高に痺れるのです。


 

3.Cloud


f:id:shige_tyler:20241231195050j:image

 

 転売ヤーとして生計を立てる男・吉井は、自身の行き過ぎた商売によって多方面から恨みを買い、やがて彼に恨みを持つ者たちがネットを通じて集結していき命が狙われます。あらすじだけ見ると現代社会のネットの危険性とグレーゾーンな稼業への警鐘譚と言ったプロットに思えますが、展開が進むごとにどこに連れていかれるのか予想もつかない広がりとハードさを目の当たりにします。映画の可能性は無限だと突き付けられた気分です。注目すべきは殺戮を企てて実行に移すのは一般人であり、そこには警察もマフィアも登場しない。(裏家業の人間っぽい男は2人登場するが、作中でその正体に関する描写は無い)。あくまでカタギ同士の活劇となるので、卓越したアクションが見れるわけでも明晰な頭脳戦が繰り広げられるわけでも無いのですが、「吉井への個人的な恨み」が、やがて人が集まるごとに膨張していく「殺意の雲」のようなものになって広がり、スケールも展開も大きく飛躍していく面白さはあまりに見応えがありました。
 
 
 

4.夜明けのすべて


f:id:shige_tyler:20241231195117j:image
 

「自分の身体や気持ちなのに、自分ではどうにもできないこと」。このような体験の心当たりは多くの人にあるのではないでしょうか?本作でメインでフォーカスされる二人の男女は、それぞれパニック障害PMS(月経前症候群)を抱えており、自身の病症との向き合い方を探るようにして日々暮らしています。発症の要因は一定のパターンこそあっても自分で制御することはできず、作中では幾度に渡って発症シーンが描かれます。波のように周期的に訪れては去っていくその症状。表情や空気の急激な変化は見てるこちら側も苦しく、人によってはフラッシュバックしてしまうのではないでしょうか?しかし本作には、そんな病気の生々しい描写とは裏腹に、絶えず穏やかな空気があります。これは病気を抱えた人とそうでない人を差別化して描いてないからだと私は思います。というのも、本作で登場した、病気を抱えてない(であろう)人たちも、どこかトラウマや傷があり苦しんでおり、結局誰しも自分で自身の症状を治すことはできないけれど誰かに助けてもらうことはできる、そして同様に他者が苦しんでいる時は他者を助けることができる、という相互扶助の関係性を描いている点に僕は救われた気分になりました。
 
 
 

5.ぼくのお日さま


f:id:shige_tyler:20241231195139j:image

 

 ハンバート・ハンバートの同タイトル曲から監督が得たインスパーアーを基に、長編映画として構成された本作。スナップ写真を90分間に渡りつなぎ合わせたような質感の映像には、どこか見る側の記憶に干渉してくるような不思議な吸引力があるように感じます。特に中盤の湖のシーン、何度も画面が色合いを変えてくる所に深いノスタルジーのようなものがあるように感じました。3人にとってこの凍結した湖面上での時間は多幸感溢れるものではあったしおそらく以後の人生でもそうであるだろうけど、それぞれ異なる色彩でこの時間を回想するのも間違いないでしょう。この場面における画面の色合いがカット毎に変わっていく様は、現在の無邪気な3人の様子を映しながら、同時に将来の3人が異なる色彩でこの時を思い返すという「切なさ」も含ませている、だからノスタルジックな趣をそこに見てしまうのだと思います。
 
 
 

6.笑いのカイブツ


f:id:shige_tyler:20241231195305j:image

 

 お笑いの構成作家を志望するツチヤが、自身の目標到達と引き換えになるような形で「地獄」(作中の台詞)を目撃することとなります。何がそこまで地獄なのか?それがツチヤ本人にも私たち視聴者にもいまひとつわからないまま、彼を取り巻く状況は酷な脚色を帯びていきます。何か意味ありげな箇所で唐突に場面の切り換えが起こることも多く、問題が意図的に宙吊りにされてる印象の演出。そんな演出も相まって、彼の得体のしれない宙吊りにされたままの葛藤が、単なる「お笑い業界ゆえの苦悩」とは思えないくらい私の内面に訴えかけるものがありました。
 
 

7.あんのこと


f:id:shige_tyler:20241231195325j:image

 

 幼少期から母親からの苛烈な暴力を受けて育った杏という少女の半生。重量感ある冒頭からはこれから描かれるものの壮絶さを予感できますが、意外にも場面が進むごとに杏がどのような過程を経て回復していくかが丁寧に描かれ、次第にこちら側の緊張感も解けていきます。人が大きな精神的苦痛から中毒以外に逃れられる方法は、周囲の人との繋がり以外に無いのだと思います。しかし他者との繋がりを作るというのは、内的要因も外的要因も含めてあまりに時間がかかる作業でもあり、杏が苦心を重ねながらそれを構築していく姿に胸を打たれます。そんな杏にとっていつまでも足枷になるのが「社会」そのもの。ミクロな繋がりをマクロな社会が削いでしまうという皮肉さが籠った終盤の展開には気が滅入ってしまうと共に、自分の周囲や足元を見据え直す十分な訴えかけがありました。
 
 
 

8.ミツバチと私


f:id:shige_tyler:20241231195409j:image

 

 自らの性自認に戸惑う幼い少年のひと夏。本作には劇伴もドラマチックなカタルシスも登場しない。ただ、淡々と子供目線で色んな日常風景を眺めてだけだが、それがこんなにも豊かなことなのかと郷愁と共に思い知る130分。
 
 
 

9.劇場版モノノ怪 唐笠


f:id:shige_tyler:20241231195427j:image

 

 テレビアニメ版未鑑賞で本作に臨みましたが、ストーリー展開や台詞の難解さに困惑しつつも、目の前で起こっている光景、それを見ているだけで途方もないエネルギーを感じた一作。被写体が動いている背景で雲も全く別の動きをしていたり、カットの目まぐるしい切り替わりが緊迫感を増長させる演出には熱くなるものがありました。
 
 
 

10.侍タイムスリッパー


f:id:shige_tyler:20241231195448j:image

 

 今年一番話題になった邦画と言っても過言では無いでしょう。終盤の展開には賛否両論あることは重々承知してますし、わざとらしい笑いの場面も少し気になりましたが、時代劇や大河ドラマなどの遍歴に乏しい私にとっては殺陣のカッコ良さがとても鮮烈でしたし、緊張感と緩みの緩急も効いてて最高に心地の良い後味の残る作品でした。